YouTubeの広告で「楽しいことで、生きていく」と銘打っているものを目にします。
突然ですが理学療法士にキャッチコピーをつけるなら何なんでしょう。
やり甲斐で生きていく?患者様に寄り添って生きていく?
色々な答えがあって良いのですが、現時点での私なりの答えを体験談をもとにお話していこうと思います。
私が担当した方は主病名は伏せますが、全身の失調を主症状とした方でした。
予後不良。今後、歩くことは難しいでしょう。
前の病院の主治医からそう伝えられたそうです。
その方に初めてお会いした時にご希望を尋ねると、「杖で歩けたらなぁ。」と。
それでも歩きたいと希望を持ってくれてるのです。
まだ仕事を辞めて数年しか経ってないのに。これからやっと自由な時間ができたばっかりなのに。なんでこんな目にあわなきゃならないんだ。
死にたい。
そのように前院で言葉を漏らしていたそうです。
それでも『歩きたい』という希望を私に教えてくれました。
そして、僕が部屋を訪れると必ずベットから起きてくれる。「今日は何するの?」と聞いてくれる。
未知の病気と向き合い頑張ろうとする姿に自分が応えなきゃ。とリハビリの方法や病気について調べ、先輩に代行してもらうなどして試行錯誤しました。
一方で、病院のお世辞にも美味いとはいえないご飯を全部食べてくれても体重は減る一方。
補助栄養は口に合わない、主食の量を増やしたところでおかずとの釣り合いがとれず残してしまう。
せめて食事は美味しい、楽しいと感じることを忘れて欲しくなかったので作業療法士の方と協力して調理練習という名目で、もともと好きだった料理を一緒に作って食べて頂きました。(もちろんご家族および主治医、その他チームの許可を頂いています。)
そのときの笑顔を忘れることはありません。
ただ、日常的な食事摂取による栄養素量の低下を懸念していたので、筋力強化練習は負荷を調整して高頻度で実施していました。
結果として現状(入院時)維持で留まる程度でした。
介入の方向性を変更し、失調のコントロールを中心にトレーニングを行いました。
退院時には、手すりや福祉用具で自宅内は歩行で移動は可能となりました。
『自宅内は』です。
屋外となると歩行器での介助歩行が精一杯でした。
坂道になると支えるのがやっとです。
退院後の介助者の負担やリスクを考慮すると車椅子という選択肢を提示しました。
杖で歩けたらなぁ。
入院時に仰ったこの言葉の裏には、歩いて『どこかに行きたかった』のでしょう。
歩行器で介助下での練習中に、これじゃあ遠くにはいけないなぁ…とつぶやいた時にそれが確信に変わりました。
家を飛び出して杖で色んなとこに自由に行きたい。好きなものを食べに行きたい。旅行にだって行きたい。
そんなたくさんの希望が隠れていたのです。
歩く
この言葉の本当の意味を改めて強く感じました。
理学療法士として働くからには私たちが限界を作ってはいけない。
そう思っていても心のどこかで私が諦めてしまいそうになっていました。
屋外移動は車椅子
ご本人の希望と能力、周りの協力や環境など様々な要素を踏まえた結果なのですが、どうしてもご本人の希望を最重要視してしまいます。
これは間違っているのでしょうか?プロとして、理学療法士としてこの方にとっての適切な判断とは何なんでしょう。
退院直前には、栄養科に依頼して栄養指導と、筋力の改善のために退院後に行って頂きたい自主トレーニングを紙面でご本人ご家族、退院後に利用するリハビリサービスのスタッフに渡しました。
しかし、『自分の保身のため』そんな気がしてなりませんでした。
希望通りの能力を獲得できなかったけど自分は少しでも役に立てた。
そんな大逸れた感情が出てきたことに吐き気がします。
それでも
「ありがとう。」
と受け取ってくれました。
その言葉がさらに心に刺さって涙が出そうになりました。
心の中で何度も謝りました。
「まだまだ未熟。」「知識も技術も足りない。」
こんな言葉では片付けられないのです。
この言葉も保身です。
「まだまだ未熟。だからしょうがない」「知識も技術も足りない。だからしょうがない」
こんな情けないことはありません。謙遜で使う言葉も考えようによってはマイナスイメージとなりますね。
何よりも患者様に失礼です。
理学療法士はやり甲斐のある仕事と言われており、本当にその通りなのですが悩むことも多くあります。
むしろ悩むことの方が多いです。
何がその人にとって正解か。探すこと自体間違っているのかもしれません。
私が理学療法士に銘打つならば…
「葛藤のなかで、生きていく。」
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