気ままに自己紹介
はじめまして
理学療法士の気ままリハブログにようこそ。
このブログでは、臨床で学んだ理学療法に関する知識を丁寧にみなさまにお伝えし、情報を共有することを目的に開設しました。
たまに雑談もしていこうかなと思います。よろしくお願いします。
サイトの下に大まかに自己紹介をしているんですけど、もうすこーし詳しく話していこうと思います。だらだらと書いていくので暇な人は読んでみてください。
高校2年生~進路を考え始める~
出身は長崎県で小学校入学前から親の転勤で福岡に引っ越し、大学入学までの12年間をこの土地で過ごしました。
高校の頃はよく中心街に出かけ、カラオケやボーリングをして楽しんでいました。一方、勉強はあまり頑張っていなかったです。
楽しい高校生活も中盤に差し掛かったときに、ついに父親から「そろそろ進路を考えたらどうだ。」とお説教をくらいました。
特に目標もなかったので、とりあえず就職に融通の利く文系の大学に進学しようかな~なんて思っていました。(それまで勉強が頑張れなかったのは目標が無かったからですかね)
その後も何回か説教をもらったのですが、その中の一言に「手に職をつけろ」と条件が追加されました。
両親ともに医療職で国家資格をもってます。
就職難でも困らないように、子供にも同じように安定して欲しいということでしょうか。
その頃の僕でもそれは理解していたつもりです。とりあえず医療系に絞って考えてみました。
しかし、そこで基本的な問題点がありました。
「医療職・・・ってなにがあるんだろう」
医療職の種類が分からなかったのです。とりあえず、そのときに思いついたのは看護師と医者でした。
看護師…。いやいや女性が多い職場できっといじめられる!
医者…。うーん、そんな学力ないよ。
1分で思考が尽きました。なんとも情けない。そんなとき、母親から「理学療法士はどう?」と一言。
理学療法士?「なんかマッサージやる人?」ぐらいのイメージでした。
親から「あんたは笑顔が素敵で思いやりがあるからこの仕事が向いてるよ。」と言われ、「じゃあそれでいいや。」と漠然な気持ちで将来を決めてしまった高校2年生でした。
高校3年生~受験そして挫折~
親から敷かれたレールとはいっても一応、目標は定まりました。
次は大学選びです。学費の安い国立大学を目指そうと、九州近辺の大学の理学療法学部に絞って勉強を始めました。
目標があれば努力はできるんですね…。
毎日学校が終わり、予備校に23時くらいまで通いました。お腹が空いたら浪人生が「たむろ」しているローソン(通称、浪村)に通っていました。
この頃から性格がひねくれており(穿った考えをするのがかっこいいとか思っていたんです。)
よく先生から「受験は団体戦だ」とか「受験勉強も大切だが、学校行事も大切だぞ」とか言われていて、心の中で反発していました。
一人で予備校に駆け込み、黙々と勉強…高校3年生がリーダーを務めなきゃいけない秋の体育大会はただの選手でした。
「センター試験まで半年しかないのになんでみんな焦らないの?体育大会のリーダーなんてやってたら勉強時間無くなっちゃうよ!ひひひ…まあいいや。自分は勉強してみんなと差をつけてやる!」
秋が終わり、冬を越し、二次試験の結果が出ました。
不合格
泣きました。その日の夜中に泣きながら食べたカップ麺の味は忘れもしません。やけにしょっぱい味でした。
滑り止めの大学は受けませんでしたので、浪人決定です。
ちなみに体育大会の組体操のリーダーを務めた友達は現役で早稲田大学に受かっていきました。
さあ地獄の浪人生活の始まりです。人生で一番きつくて長い1年でした…。
朝から晩まで勉強漬け。休憩時間に眺めていたTwitterには現役で大学に入った友達の楽しそうなツイート。
『新歓楽しすぎ。』だの『今日は飲み会!』だの『バイトだりー』だの『彼女とデートなう』だの『花火大会』だの…悔しいから予備校の最上階で大濠公園の花火を眺めました。
やけに花火が霞んでみえたのはなんででしょう。
来年は自分だって・・・!!
そして浪人の秋が終わり、冬を越し、二次試験の結果が出ました。
不合格!!
情けなくて情けなくて…予備校にまで通わせてくれた親への申し訳なさと自分の努力不足に泣いてしまいました。
結局、滑り止めで合格した私立の大学へ通うことになりました。
大学生活
目標の大学ではなかったのですが、地方の私立大学へ進学しました。
一応、九州の中で都会と言われている福岡の中心地で過ごしてきたので不本意な地方への暮らしは若干のカルチャーショックを受けました。
大学の周りにはスーパーやコンビニもカラオケもゲームセンターもない土地で「ここで4年間を過ごすのか…」と思い描いていたキャンパスライフはガラガラと音を立てて崩れていきました。
黒髪で前髪が異常に伸びきって猫背で絶望した顔で臨んだ初めての理学療法学部での飲み会。
後に聞いた話では裏で「怖い」「死神みたい」「デスノートかよ」など散々な言われだったようです。
大学1年目の中盤から自前の明るさが戻ってきてたくさんの友達に恵まれました。
夏には友達の車で夜に海に行ったり浴衣で花火を楽しんだり、冬にはスノボを楽しんだり、それなりに大学生活を満喫しました。
一方、勉強のほうも、ぼちぼちとしていました。
しかし、実技だけは苦手で(この仕事は実技だらけなのに…)徒手筋力テスト、PNF手技、移乗動作の介助方法などの実技テストはことごとく落としてしまいました。
先生を前にすると頭が真っ白になってしまうのです。
自分でも笑ってしまうくらい思考停止します。
なんとか再テストで拾ったのですが…。今でも介入時に先輩に見学を入ってもらうときはド緊張します。
さて、大学生活でこの学部に入った人なら分かると思うのですが、大きな学校のイベントといえば実習が挙がるのではないでしょうか。
実習~恩師との出会い~
見学実習、検査測定実習、評価実習、長期実習と乗り越えてきましたが、一番記憶に残っているのは長期実習です。
実習中に検査のまとめノートと教科書を抱え込み実習に挑みました。
実技がてんでダメな僕は不安しかありませんでした。
入院から退院まで担当する患者様は初めてで、もう何をすればいいのか分かりませんでした。
(と、とりあえず評価かな?えーっと、ROM-tとMMTと感覚をみて…)
いきなりゴニオメーターや巻き尺を取り出したあの頃の自分を叱ってやりたいです。
すぐに、バイザーから問診やトップダウンの考え方を教わりました。
さて、評価ばかりに時間を取られてはいけません。
リハビリをしないと!という焦りで患者様に歩行練習を促しました。
「さあ歩きましょう!」
ピクリとも僕の声に反応しない患者様。
ただ周りをきょろきょろと見まわすばかり。焦りと恐怖でいつもように頭が真っ白に…笑
「まだまだだね!」と笑うバイザー。
選手交代です。
じーっと患者様を観察するバイザー。
そして一言
「〇〇さん!トイレにでも行きましょうか?」
ムクッと起き上がる患者様。
トイレを目的に歩く動作を促したのです。
「目的がないと歩くことなんてしないよ~!もうご高齢なんだから練習なんかしないよ~!」とバイザーからアドバイスを頂きました。
上記以外にも、色んなことを7週間のなかで自分の理学療法士の仕事をするにあたって基盤となるものを教わりました。
”患者゛である前に“人”だからね。機能を良くすることも大事だけど患者様に寄り添うことが一番大事だよ。
「『患者様を治療してあげる』とか偉そうなことは言えないよ。リハビリの主人公は患者様だからね。あくまでも私たちの仕事は患者様のリハビリを「お手伝い」することだからね。それ以上のことはできないよ。」
終わりに
自分の理学療法士の基盤は恩師から教わったものが全てだと断言できます。
まだ理学療法歴が2年目の技術・知識も未熟な僕ですが、リハビリに対する姿勢は誰にも負けないと思っています。
…とは言いつつこの1年で失敗は何度もしました。その度に恩師の顔を思い出して反省をしています。
グダグダになってしまい申し訳ございません。ブログは初めてということで、簡素で稚拙な文章となり恥ずかしい限りです。
今後、このブログでは今回のような雑談や患者様のリハビリを「お手伝い」するのに必要な技術や知識を発信していき、理学療法士だけでなく言語聴覚士や作業療法士の方々に少しでも役に立てるように頑張っていきます。
コメント